<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	xmlns:georss="http://www.georss.org/georss" xmlns:geo="http://www.w3.org/2003/01/geo/wgs84_pos#" xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/"
	>

<channel>
	<title>la bibliothèque secrète d'un ourson</title>
	<atom:link href="http://koguma.wordpress.com/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://koguma.wordpress.com</link>
	<description>こぐまによる本のレヴュー</description>
	<lastBuildDate>Sun, 02 Jan 2011 08:46:05 +0000</lastBuildDate>
	<language>fr</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.com/</generator>
<cloud domain='koguma.wordpress.com' port='80' path='/?rsscloud=notify' registerProcedure='' protocol='http-post' />
<image>
		<url>http://s2.wp.com/i/buttonw-com.png</url>
		<title>la bibliothèque secrète d'un ourson</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com</link>
	</image>
	<atom:link rel="search" type="application/opensearchdescription+xml" href="http://koguma.wordpress.com/osd.xml" title="la bibliothèque secrète d&#039;un ourson" />
	<atom:link rel='hub' href='http://koguma.wordpress.com/?pushpress=hub'/>
		<item>
		<title>『パリでいっしょに』 エドマンド・ホワイト/Our Paris  Sketches from Memory Edmund White and Hubert Sorin</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2010/05/23/our-paris-edmund-white-hubert-sorin/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2010/05/23/our-paris-edmund-white-hubert-sorin/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 23 May 2010 02:51:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[文化・芸術]]></category>
		<category><![CDATA[旅行・地域]]></category>
		<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/?p=200</guid>
		<description><![CDATA[エドマンド・ホワイトは、（同性の）恋人、ユベール・ソランとパリで暮らしました。 1993年、彼らが同居する為に移り住んだアパルトマンの場所はパリの中心地で、シャトレ駅から歩いてすぐのロンパール通り（Rue des Lombards）にあります。 エドマンドの書斎の窓のすぐ下では、品のいい奥様といった感じの年配の娼婦が七、八人、交代で「営業」しています。すぐ側のサン・マルタ ン通りをいけば、浮浪者が周りをうろついているサン・メリ教会があります。 売春婦や浮浪者、旅行者、芸術家、地元の人々などが行きかう賑やかなこの界隈は、二人にとって居心地がよかったようです。調べてみると、マレ地区は当時からゲイが多いということで、それも当然だったかも知れません。 Rue des Lombards　の地図 (http://bit.ly/bcyERX) エドマンドの序文は、1994年、まだ32歳だったユベールの死のわずか2時間後に書かれました。ユベールは、「オーブリー・ビアズリーの絵にファラオの風格が備わった」（エドマンド）イラストを描く、すらりとしたダンディーでハンサムな青年です。（1962年生まれ。エドマンドは1940年生まれ） 二人の共同作業により生まれたメモワール、『パリでいっしょに』は、パリの町並みと地元の人々の日常、外国人から見れば滑稽なフランス人の特徴、人々の奇癖、伝説的人物の逸話などで読者を楽しませます。一方、ユベールとエイズとの格闘は、一切描かれていません。 読んでいて思わず声を出して笑ってしまった話はいくつもあるのですが、そのうちのひとつ、浮浪者の話をご紹介します。 シャトレ界隈には、ボル・ド・リ（ご飯茶碗）と呼ばれているホームレスが出没します。彼は相当なファッション・センスを持っていて、コム・デ・ギャルソンのスタイリストがついていると言ってもおかしくないようなコーディネーションで服を着ていることがしばしばあるとの事。着るものは、近所の人々や、サン・メリ教会の向かいで古着などを売っている人々からもらったものらしい。 近所のフリーマーケットでブランド物を目ざとく発掘し、ただ同然で購入して着こなしている自分の家族を思い出さずにはいられない話です…。 最後のエッセイに添えられたユベールの「デッサン」は、二人の5年間がどのようなものであったか、エドマンドの愛情がどのようなものであったかを想像させます； 背景の描かれていない画面の下のほうに、「強情で意地っ張り」、垂れ耳のバセット・ハウンドが寝そべっています。ユベールが溺愛し た、二人の子供とも言える犬、フレッドです。その頭上には王冠が描かれています。 なぜフレッドに王冠が被されたのか…私はそれを思うと胸が熱くなってしまうのです。 なぜなら、「彼（ユベール）にとってわれわれの愛は、異性のカップルと何ら変わりない、神 々の祝福を受けた愛だった」ことを、エドマンドのその言葉以上に、雄弁に説明しているように思えるからです。 そのような愛で結ばれた二人の子供であるフレッドの絵は、二人の世界を慈悲深く守る王、王冠を被るべき貴い存在の、エンブレムのようにも見えてこないでしょうか。 『パリでいっしょに』　エドマンド・ホワイト著　中川美和子　訳 白水社 Our Paris　Sketches from Memory by Edmund White and Hubert Sorin<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=200&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="size-full wp-image-217 alignleft" title="Our Paris: Sketches from Memory" src="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/ourparis.gif?w=152&#038;h=197" alt="our paris book ISBN-10: 0679441662" width="152" height="197" />エドマンド・ホワイトは、（同性の）恋人、ユベール・ソランとパリで暮らしました。<br />
1993年、彼らが同居する為に移り住んだアパルトマンの場所はパリの中心地で、シャトレ駅から歩いてすぐのロンパール通り（Rue des Lombards）にあります。<br />
エドマンドの書斎の窓のすぐ下では、品のいい奥様といった感じの年配の娼婦が七、八人、交代で「営業」しています。すぐ側のサン・マルタ ン通りをいけば、浮浪者が周りをうろついているサン・メリ教会があります。<br />
売春婦や浮浪者、旅行者、芸術家、地元の人々などが行きかう賑やかなこの界隈は、二人にとって居心地がよかったようです。調べてみると、マレ地区は当時からゲイが多いということで、それも当然だったかも知れません。</p>
<p><a href="http://bit.ly/bcyERX">Rue des Lombards　の地図</a> (http://bit.ly/bcyERX)</p>
<p>エドマンドの序文は、1994年、まだ32歳だったユベールの死のわずか2時間後に書かれました。ユベールは、「オーブリー・ビアズリーの絵にファラオの風格が備わった」（エドマンド）イラストを描く、すらりとしたダンディーでハンサムな青年です。（1962年生まれ。エドマンドは1940年生まれ）<br />
二人の共同作業により生まれたメモワール、『パリでいっしょに』は、パリの町並みと地元の人々の日常、外国人から見れば滑稽なフランス人の特徴、人々の奇癖、伝説的人物の逸話などで読者を楽しませます。一方、ユベールとエイズとの格闘は、一切描かれていません。</p>
<p>読んでいて思わず声を出して笑ってしまった話はいくつもあるのですが、そのうちのひとつ、浮浪者の話をご紹介します。<br />
シャトレ界隈には、ボル・ド・リ（ご飯茶碗）と呼ばれているホームレスが出没します。彼は相当なファッション・センスを持っていて、コム・デ・ギャルソンのスタイリストがついていると言ってもおかしくないようなコーディネーションで服を着ていることがしばしばあるとの事。着るものは、近所の人々や、サン・メリ教会の向かいで古着などを売っている人々からもらったものらしい。<br />
近所のフリーマーケットでブランド物を目ざとく発掘し、ただ同然で購入して着こなしている自分の家族を思い出さずにはいられない話です…。</p>
<p>最後のエッセイに添えられたユベールの「デッサン」は、二人の5年間がどのようなものであったか、エドマンドの愛情がどのようなものであったかを想像させます；<br />
背景の描かれていない画面の下のほうに、「強情で意地っ張り」、垂れ耳のバセット・ハウンドが寝そべっています。ユベールが溺愛し た、二人の子供とも言える犬、フレッドです。その頭上には王冠が描かれています。<br />
なぜフレッドに王冠が被されたのか…私はそれを思うと胸が熱くなってしまうのです。<br />
なぜなら、「彼（ユベール）にとってわれわれの愛は、異性のカップルと何ら変わりない、神 々の祝福を受けた愛だった」ことを、エドマンドのその言葉以上に、雄弁に説明しているように思えるからです。<br />
そのような愛で結ばれた二人の子供であるフレッドの絵は、二人の世界を慈悲深く守る王、王冠を被るべき貴い存在の、エンブレムのようにも見えてこないでしょうか。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-242" title="our-paris-jp-last-page" src="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-jp-last-page.jpg?w=300&#038;h=218" alt="the last page of Our Paris (Japanese trans.)" width="300" height="218" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-248" title="our-paris-fred" src="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-fred.jpg?w=300&#038;h=150" alt="Drawing of Fred by Hubert found on the last page of Our Paris (Japanese trans.)" width="300" height="150" /></p>
<p><em>『パリでいっしょに』　エドマンド・ホワイト著　中川美和子　訳<br />
白水社</em></p>
<p><em><img class="alignnone size-full wp-image-230" title="our-paris-jptrans" src="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-jptrans.jpg?w=150&#038;h=218" alt="『パリでいっしょに』　　エドマンド・ホワイト著" width="150" height="218" /><br />
</em></p>
<p><em>Our Paris　Sketches from Memory<br />
by Edmund White and Hubert Sorin</em></p>
<p><em><a href="http://www.edmundwhite.com/html/ourparis.htm"><img class="alignnone size-full wp-image-219" title="Our Paris: Sketches from Memory" src="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/ourparis2.png?w=150&#038;h=223" alt="our paris book ISBN-10: 0060085924" width="150" height="223" /></a><br />
</em></p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/200/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/200/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=200&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2010/05/23/our-paris-edmund-white-hubert-sorin/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/ourparis.gif" medium="image">
			<media:title type="html">Our Paris: Sketches from Memory</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-jp-last-page.jpg?w=300" medium="image">
			<media:title type="html">our-paris-jp-last-page</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-fred.jpg?w=300" medium="image">
			<media:title type="html">our-paris-fred</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/our-paris-jptrans.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">our-paris-jptrans</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2010/05/ourparis2.png" medium="image">
			<media:title type="html">Our Paris: Sketches from Memory</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『宮廷画家のプリンス』アーサー・シモンズ/A Prince of Court Painters by Arthur Symons</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2008/06/29/arthur_symons/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2008/06/29/arthur_symons/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 29 Jun 2008 18:38:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[文化・芸術]]></category>
		<category><![CDATA[アントワーヌ・ヴァトー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2008/06/29/%e3%80%8e%e5%ae%ae%e5%bb%b7%e7%94%bb%e5%ae%b6%e3%81%ae%e3%83%97%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%80%8f%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b7%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%baa-prince-of-court-p/</guid>
		<description><![CDATA[白いシンプルな靴にはやわらかい珊瑚色の大きなリボン、踝のみえる短めのズボンをはき、白くてだぶだぶのシルクの上着を身に着けています。その上着には、襞のある扇形に広がる特徴のある襟がついています。なにやら丸い帽子をかぶり、脱力した両腕を脇にたらし、穏やかに開いた眉の下にやさしげな目を輝かせています。 憂いを帯びた微かな微笑がそのピエロの衣装と対照をなし、広いルーブルで数々の絵画に食傷気味になった鑑賞者をさえ、立ち止まらせるのです。 「優雅な宴」（fêtes galantes）で知られる画家アントワーヌ・ヴァトーはいつも病気がちで、その為にあちこちを転々としました。晩年にはよい医者がいるというのでイギリスにまで渡りました。それでも、健康になり、たずねて来る友人にも邪魔されず、静かに作品に没頭したいというヴァトーの希望は生涯かなわなかったようです。イギリスから戻って数ヵ月後に36才の若さで病死しました。 青年のころから、彼は自分自身の人生の喜びや欲望には興味を失っていました。その代わり、他人の人生を観察することに喜びを見出していました。数々の優美な宴、幸福が閉じ込められているような庭（T・ゴーティエ）、そこで楽しげに手を取り合う恋人たちーこれらは批判的で憂鬱な傍観者の覚めた筆により描きだされたのでした。 刹那的に生き、夢想に身を委ね、幸福に頬を輝かせている女性たちー彼女たちの姿を素晴らしく魅力的に描き出しつつも、彼はそのような人々と交わり同様に生きたいとは思いませんでした。 ヴァトーは悲しみと羨望を感じながら、情事(la galanterie)のはかないうわべだけの美しさを観察します。そしてそれらに、敬虔と言ってもいいほどのまじめさを与えました。これこそ、他の軽薄な絵のみを残した画家たちにできなかったことでした。 悲しいお祭り騒ぎーヴァトーの絵画はリュートやクラヴィコードで奏でられる悲しげな音楽なのだ、とアーサー・シモンズは言います。弦は啜り泣きし、クイル（ハープシコードの弦を弾く爪）は空疎な音をたてる。ヴァトーの色彩は、常に色あせたものの色であり、枯れかけたバラの花びらの色なのだ、と…。 ウォルター・ペイターは、ヴァトーの唯一の弟子であったジャン・パプティスト・ペイターの妹の日記という体裁を取って、ヴァトーの肖像を描きました。アーサー・シモンズはこの想像的肖像（Imaginary Portrait）に、ヴァトーのすべてが完璧に描き出されていると書いています。 原書 : Colour Studies in Paris by Arthur Symons (1918)<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=27&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrot.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-49" title="watteaupierrot" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrot.jpg?w=300&#038;h=388" alt="" width="300" height="388" /></a></p>
<p>白いシンプルな靴にはやわらかい珊瑚色の大きなリボン、踝のみえる短めのズボンをはき、白くてだぶだぶのシルクの上着を身に着けています。その上着には、襞のある扇形に広がる特徴のある襟がついています。なにやら丸い帽子をかぶり、脱力した両腕を脇にたらし、穏やかに開いた眉の下にやさしげな目を輝かせています。</p>
<p style="margin-bottom:0;" lang="ja-JP">憂いを帯びた微かな微笑がそのピエロの衣装と対照をなし、広いルーブルで数々の絵画に食傷気味になった鑑賞者をさえ、立ち止まらせるのです。</p>
<p style="margin-bottom:0;" lang="ja-JP"><span style="color:#000000;">「優雅な宴」（</span><span style="color:#000000;">fêtes galantes</span><span style="color:#000000;">）で知られる画家アントワーヌ・ヴァトーはいつも病気がちで、その為にあちこちを転々としました。晩年にはよい医者がいるというのでイギリスにまで渡りました。それでも、健康になり、たずねて来る友人にも邪魔されず、静かに作品に没頭したいというヴァトーの希望は生涯かなわなかったようです。イギリスから戻って数ヵ月後に</span><span style="color:#000000;">36</span><span style="color:#000000;">才の若さで病死しました。</span></p>
<p style="margin-bottom:0;"><span style="color:#000000;">青年のころから、彼は自分自身の人生の喜びや欲望には興味を失っていました。その代わり、他人の人生を観察することに喜びを見出していました。数々の優美な宴、幸福が閉じ込められているような庭（T・ゴーティエ）、そこで楽しげに手を取り合う恋人たちーこれらは批判的で憂鬱な傍観者の覚めた筆により描きだされたのでした。<br />
刹那的に生き、夢想に身を委ね、幸福に頬を輝かせている女性たちー彼女たちの姿を素晴らしく魅力的に描き出しつつも、彼はそのような人々と交わり同様に生きたいとは思いませんでした。<br />
ヴァトーは悲しみと羨望を感じながら、情事</span><span style="color:#000000;">(la galanterie)</span><span style="color:#000000;">のはかないうわべだけの美しさを観察します。そしてそれらに、敬虔と言ってもいいほどのまじめさを与えました。これこそ、他の軽薄な絵のみを残した画家たちにできなかったことでした。<br />
悲しいお祭り騒ぎーヴァトーの絵画はリュートやクラヴィコードで奏でられる悲しげな音楽なのだ、とアーサー・シモンズは言います。弦は啜り泣きし、クイル（ハープシコードの弦を弾く爪）は空疎な音をたてる。ヴァトーの色彩は、常に色あせたものの色であり、枯れかけたバラの<span style="color:#000000;">花びらの色なのだ、と…。</span></span></p>
<p style="margin-bottom:0;"><span style="color:#000000;">ウォルター・ペイターは、ヴァトーの唯一の弟子であったジャン・パプティスト・ペイターの妹の日記という体裁を取って、ヴァトーの肖像を描きました。アーサー・シモンズはこの想像的肖像（Imaginary Portrait）に、ヴァトーのすべてが完璧に描き出されていると書いています。</span></p>
<p><span style="color:#000000;"><em>原書 : Colour Studies in Paris by Arthur Symons (1918)</em></span></p>
<p><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrotface.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-50" title="watteaupierrotface" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrotface.jpg?w=193&#038;h=204" alt="" width="193" height="204" /></a></p>
<div id="attachment_52" class="wp-caption alignnone" style="width: 178px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/colourstudiesinparis.jpg"><img class="size-full wp-image-52" title="colourstudiesinparis" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/colourstudiesinparis.jpg?w=168&#038;h=250" alt="book" width="168" height="250" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/27/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/27/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/27/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/27/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=27&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2008/06/29/arthur_symons/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrot.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">watteaupierrot</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/watteaupierrotface.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">watteaupierrotface</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/colourstudiesinparis.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">colourstudiesinparis</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>エルンスト・ユンガーの日記/ The Diaries of Ernst Jünger by Nils Fabiansson</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2008/03/17/junger-nils-fabiansson/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2008/03/17/junger-nils-fabiansson/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 17 Mar 2008 16:42:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[The Diaries of Ernst Jünger by Nils Fabiansson 　エルンスト・ユンガー　日記]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2008/03/17/%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%82%ac%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%97%a5%e8%a8%98-the-diaries-of-ernst-junger-by-nils-fabiansson/</guid>
		<description><![CDATA[Junger&#8217;s notes (c) Nils Fabiansson 2008年2月、モレスキンの手帳愛好家によるブログで（現在はモレスキン社が所有する）、エルンスト・ユンガーの手帳についての記事が投稿されていました。 ここにご紹介したいと思います。（著者の了承を得て全文を訳してみました。） &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;- 2008年2月17日日曜日は、作家であり哲学者であり、また日記作家としても名高いエルンスト・ユンガーが102歳で永眠してから10周年の記念で した。ユンガーは自伝的戦争記、『鋼鉄の嵐の中で　-　前線におけるあるドイツ突撃隊員の日記』(&#171;&#160;In Stahlgewittern&#160;&#187; 、英訳(&#171;&#160;The Storm of Steel.  From the Diary of a German Stormtroop Officer on the Western Front&#160;&#187;)の出版により知られるようになりました。ユンガーは第一次世界大戦（1914-1918）を経験し、ほぼ4年に渡る西部前線の塹壕生活で、16冊のポケットサイズの日記ノートを埋めました。「一山ほどの」と彼の言うとおり、それは1500ページにもなります。*1 日記のほとんどは、「戦争日記」（Kriegstagebuch）と題されています。最初の7冊のノートはどれも暗緑色のハードカバーで、残りのものは全て異なる体裁と色です。いつくかは罫線入りですが、白紙や正方形のページのものもあります。&#160;&#187;Fauna coleopterologica douchyensis&#160;&#187;（Douchy昆虫誌）というタイトルが付けられている薄い大きなノートは、塹壕で発見された143の甲虫の記録です。ノートには、一日何件も書き込みをしている期間があります。ある期間－ほとんどは休暇や休戦中ですが－は、全く記入がありません。当日ではなく数日後に書き込まれている期間もあります。ノートは判読しがたい古い筆記体*2のドイツ語で、灰色もしくは青い鉛筆か、黒や緑、または紫のインクで書かれています。削除されたり、取り消し線を引かれたり、また切り取られた箇所は日記にほとんどありません。約40余りのスケッチがあり、余白に書き込まれたものから、1ページ全てを使って描かれた絵や地図まであります。また、注釈が後から書き込まれていたり、メモ、切抜きなどがカバーに挟みこまれていたりします。 エルンスト・ユンガーは出版された本の中で、日記のノートや、それらノートと読書中の本を一緒に入れておいた特殊な地図のケースについて何回か触れています。また、日記をつけていた時間についても書いています。 「長期間、戦争に参加したり珍しい状況にある人には、とぎれとぎれにメモを残すよりも、毎日日記をつけるようにアドバイスしたい。それは後日、書いたときの状況を思い出す記憶の鍵となるだろう。（- 略-）これらは書き手に経験の本質を理解することを強要し、そして彼を &#8211; 一日数分間時間を割くだけで - 見慣れた環境より高いところへ押し上げ、傍観者の位置につかせる。日常の経験が新しい姿で現れるだろう。丁度見慣れた風景が、スケッチしようとした途端に 全く違って見えてくるように。（-略-）生死にかかわる事でない場合、新しい事実を日々まとめる事は考えるよりも労力を必要とするものだ。（-略-）いずれにせよ、観察する努力はノートをとる習慣と調和する。また、人が数年しか経験できず2度と同じような状況が発生しないような特定の状況にいるならば、それらの比類の無い特徴を理解すべく、注意深くならざるを得ないだろう。」 また、戦争中の日記ノートそのものについても、詳細に記しています。 「しばしば書き込みは注意深くインクで書かれている。；そして私はそこから直ちに、私が南フランスやフランダースの小さなコテージでゆったりと座っていたこ とを、あるいは私の塹壕の前の静かな場所でパイプをくゆらし、最悪でも遠くで鳴っている、夕方最後の偵察をしている偵察機の飛行音にしか邪魔されなかったこと を思い出す。 そしてその後には、支離滅裂で歪んだ鉛筆書きの数行がある。それらは攻撃前の、込み合った地獄のような塹壕の蝋燭のかすかな明かりで、あるいは果てしなく何時間も続く大量爆撃の中、走り書きしたものなのだ。 しまいには、動揺した言葉遣いや、判別ができない文字がある。 それらは地震を記録している地震計の波線に似ていて、文字の語尾が急速な書き込みのせいで空中に消えたりしている。-おそらく攻撃のあと、破片が紙の上に落ちてきたに違いない。殺人蜂の大群のようなマシンガンの弾に襲われたあとの、爆撃でできた穴やところどころ寸断されている塹壕のなかで。」 ユンガーは晩年まで日記を書き続けました。最後に出版された日記は、1997年出版の&#160;&#187;Siebzig verweht V&#160;&#187;です。ユンガーのノートは、ドイツ公文書館に保存されています。 *1 出版された&#160;&#187;In Stahlgewittern&#160;&#187; （邦訳：『鋼鉄のあらし』佐藤 雅雄訳 /先進社/1930年）はこれらのノートに基づいている。 *2 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=26&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/juenger_diaries_b_2.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-54" title="juenger_diaries_b_2" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/juenger_diaries_b_2.jpg?w=300&#038;h=245" alt="Junger's notes" width="300" height="245" /></a>Junger&#8217;s notes</p>
<p><span style="font-size:.8em;color:#000000;">(c) <span>Nils Fabiansson</span></span></p>
<p><span style="color:#000000;">2008年2月、モレスキンの手帳愛好家によるブログで（現在はモレスキン社が所有する）、エルンスト・ユンガーの手帳についての記事が投稿されていました。<br />
ここにご紹介したいと思います。（著者の了承を得て全文を訳してみました。）</span></p>
<p><span style="color:#000000;">&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-<br />
2008年2月17日日曜日は、作家であり哲学者であり、また日記作家としても名高いエルンスト・ユンガーが102歳で永眠してから10周年の記念で<br />
した。ユンガーは自伝的戦争記、『鋼鉄の嵐の中で　-　前線におけるあるドイツ突撃隊員の日記』(&laquo;&nbsp;In Stahlgewittern&nbsp;&raquo;<br />
、英訳(&laquo;&nbsp;The Storm of Steel.  From the Diary of a German Stormtroop Officer<br />
on the Western Front&nbsp;&raquo;)の出版により知られるようになりました。ユンガーは第一次世界大戦（1914-1918）を経験し、ほぼ4年に渡る西部前線の塹壕生活で、16冊のポケットサイズの日記ノートを埋めました。「一山ほどの」と彼の言うとおり、それは1500ページにもなります。</span><span style="color:#0066cc;"><strong><span style="font-size:.8em;">*1</span></strong></span></p>
<p><span style="color:#000000;">日記のほとんどは、「戦争日記」（Kriegstagebuch）と題されています。最初の7冊のノートはどれも暗緑色のハードカバーで、残りのものは全て異なる体裁と色です。いつくかは罫線入りですが、白紙や正方形のページのものもあります。&nbsp;&raquo;Fauna coleopterologica douchyensis&nbsp;&raquo;（Douchy昆虫誌）というタイトルが付けられている薄い大きなノートは、塹壕で発見された143の甲虫の記録です。ノートには、一日何件も書き込みをしている期間があります。ある期間－ほとんどは休暇や休戦中ですが－は、全く記入がありません。当日ではなく数日後に書き込まれている期間もあります。ノートは判読しがたい古い筆記体</span><span style="color:#0066ff;"><strong><span style="font-size:.8em;">*2</span></strong></span><span style="color:#000000;">のドイツ語で、灰色もしくは青い鉛筆か、黒や緑、または紫のインクで書かれています。削除されたり、取り消し線を引かれたり、また切り取られた箇所は日記にほとんどありません。約40余りのスケッチがあり、余白に書き込まれたものから、1ページ全てを使って描かれた絵や地図まであります。また、注釈が後から書き込まれていたり、メモ、切抜きなどがカバーに挟みこまれていたりします。</span></p>
<p><span style="color:#000000;">エルンスト・ユンガーは出版された本の中で、日記のノートや、それらノートと読書中の本を一緒に入れておいた特殊な地図のケースについて何回か触れています。また、日記をつけていた時間についても書いています。</span></p>
<blockquote><p><span style="color:#000000;">「長期間、戦争に参加したり珍しい状況にある人には、とぎれとぎれにメモを残すよりも、毎日日記をつけるようにアドバイスしたい。それは後日、書いたときの状況を思い出す記憶の鍵となるだろう。</span><span style="color:#000000;">（-<br />
略-）これらは書き手に経験の本質を理解することを強要し、そして彼を &#8211; 一日数分間時間を割くだけで -<br />
見慣れた環境より高いところへ押し上げ、傍観者の位置につかせる。日常の経験が新しい姿で現れるだろう。丁度見慣れた風景が、スケッチしようとした途端に<br />
全く違って見えてくるように。</span><span style="color:#000000;">（-略-）</span><span style="color:#000000;">生死にかかわる事でない場合、新しい事実を日々まとめる事は考えるよりも労力を必要とするものだ。</span><span style="color:#000000;">（-略-）</span><span style="color:#000000;">いずれにせよ、観察する努力はノートをとる習慣と調和する。また、人が数年しか経験できず2度と同じような状況が発生しないような特定の状況にいるならば、それらの比類の無い特徴を理解すべく、注意深くならざるを得ないだろう。」</span></p></blockquote>
<p><span style="color:#000000;">また、戦争中の日記ノートそのものについても、詳細に記しています。</span></p>
<blockquote><p><span style="color:#000000;">「しばしば書き込みは注意深くインクで書かれている。；そして私はそこから直ちに、私が南フランスやフランダースの小さなコテージでゆったりと座っていたこ<br />
とを、あるいは私の塹壕の前の静かな場所でパイプをくゆらし、最悪でも遠くで鳴っている、夕方最後の偵察をしている偵察機の飛行音にしか邪魔されなかったこと<br />
を思い出す。<br />
そしてその後には、支離滅裂で歪んだ鉛筆書きの数行がある。それらは攻撃前の、込み合った地獄のような塹壕の蝋燭のかすかな明かりで、あるいは果てしなく何時間も続く大量爆撃の中、走り書きしたものなのだ。<br />
しまいには、動揺した言葉遣いや、判別ができない文字がある。<br />
それらは地震を記録している地震計の波線に似ていて、文字の語尾が急速な書き込みのせいで空中に消えたりしている。-おそらく攻撃のあと、破片が紙の上に落ちてきたに違いない。殺人蜂の大群のようなマシンガンの弾に襲われたあとの、爆撃でできた穴やところどころ寸断されている塹壕のなかで。」</span></p></blockquote>
<p><span style="color:#000000;">ユンガーは晩年まで日記を書き続けました。最後に出版された日記は、1997年出版の&nbsp;&raquo;Siebzig verweht V&nbsp;&raquo;です。ユンガーのノートは、ドイツ公文書館に保存されています。</span></p>
<p><span style="font-size:.8em;color:#0066cc;">*1 出版された&nbsp;&raquo;In Stahlgewittern&nbsp;&raquo; （邦訳：『鋼鉄のあらし』佐藤 雅雄訳 /先進社/1930年）はこれらのノートに基づいている。<br />
*2 現在では使用されていない筆記体で、読める人も少なくなっている。<br />
Sütterlinschrift (Sütterlin script), もしくは <a href="http://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%BCtterlin">Sütterlin</a><a href="http://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%BCtterlin">（ウィキペディア　英語の説明）</a></span></p>
<p><span style="color:#000000;">『鋼鉄の嵐の中で』の詳しい情報については、下記ブログで公開されています。<br />
<a href="http://stahlgewittern.blogspot.com/"><strong>&laquo;&nbsp;Das Begleitbuch zu Ernst Jünger &#8216;In Stahlgewittern&#8217;&nbsp;&raquo;</strong></a><br />
[http://stahlgewittern.blogspot­.com/]</span></p>
<p><span style="color:#000000;">著者について：<br />
ニルス・ファービアンソン（<span>Nils Fabiansson</span>）<br />
スウェーデン人の歴史家・考古学者、ストックホルム在住。『鋼鉄の嵐のなかで』の案内書（<span class="sans"><span>Begleitbuch zu Ernst Jünger &#8216;In Stahlgewittern&#8217;</span></span>）を執筆。この案内書は2007年12月にドイツで出版されました。内容はドイツ語で、フルカラーのイラストや写真が掲載されています。</span><span style="color:#000000;">また、これまで未出版だった</span><span style="color:#000000;">ユンガー直筆の図面も数枚掲載されています。</span></p>
<p><span style="color:#000000;">&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;-</span></p>
<p><span style="color:#000000;">原文：<br />
<strong><a href="http://www.moleskinerie.com/2008/02/the-diaries-of.html">The Diaries of Ernst Jünger</a></strong><br />
[http://www.moleskinerie.com/2008/02/the-diaries-of.html]</span></p>
<p><span style="color:#000000;">『鋼鉄の嵐の中で』の案内書（ドイツ語）：</span><br />
<span><span style="color:#000000;">Begleitbuch zu Ernst Jünger &#8216;In Stahlgewittern&#8217; [Illustriert] (Broschiert)<br />
von Nils Fabiansson (Autor)</span></span></p>
<p><a onclick="return mugicPopWin(this,event);" oncontextmenu="mugicRightClick(this);" href="http://www.amazon.de/dp/3813208885?tag=dasbegle-21&amp;camp=1410&amp;creative=6378&amp;linkCode=as1&amp;creativeASIN=3813208885&amp;adid=18K5282BX2AQ3VS6CBPW&amp;"><img class="alignnone size-full wp-image-55" title="begleitbuch_zu_ernst_junger" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/begleitbuch_zu_ernst_junger.jpg?w=160&#038;h=222" alt="" width="160" height="222" /></a></p>
<p><span> </span></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/26/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/26/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/26/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/26/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=26&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2008/03/17/junger-nils-fabiansson/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/juenger_diaries_b_2.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">juenger_diaries_b_2</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/begleitbuch_zu_ernst_junger.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">begleitbuch_zu_ernst_junger</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『哲学的書簡集』サン・マルタン/Correspondance de Saint-Martin avec Kirchberger, baron de Liebistorf (1792-1797)</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/10/28/saint-martin/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/10/28/saint-martin/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 28 Oct 2007 19:35:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[サン・マルタン　マルチネス・ド・パスカリ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/10/28/%e3%80%8e%e5%93%b2%e5%ad%a6%e7%9a%84%e6%9b%b8%e7%b0%a1%e9%9b%86%e3%80%8f%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%83%b3correspondance-de-saint-martin-avec-kirchberger-baron-de-liebis/</guid>
		<description><![CDATA[「ムッシュー、どうか見知らぬ人からの、このような手紙に驚かないでいただきたい。あなたの文章と人柄の素晴らしさが、私にペンを取らせたのです。」 1792年、スイスのある男爵は「知られざる哲学者」という筆名で『誤謬と真実』を出版した人物に、こう手紙を出しました。 男爵は「知られざる哲学者」が著作で使った用語、「能動的・理知的原因(La cause active et intelligente)」や「徳(Les vertus)」について説明を請います。熱心な質問には、フランスからすぐに丁寧な返事が届きました。 ここから、二人の文通は始まります。 男爵は自分の知的興味の赴くまま、文通相手に意見や助言を求めました。ことにオカルティズムの実験と研究については、なんども意見を求めました。そして、温和で忍耐強く優しい哲学者から、ついにはいらだったような返事を受け取ります。 「なんという富をあなたはその手にもっていることでしょう！その富の宝庫を目の前にして、あなたがまだそのような下位の法則の研究に時間を無駄にしているとしたら、私は非常に残念なことと思います。」 ここでこのフランス人哲学者が指している富とは、二人が話題にした神秘家たちのなかでも、とりわけヤコブ・ベーメの著書でした。男爵はドイツ語が母語だったため彼の著作を自由に読めましたが、文通相手はヤコブ・ベーメの著作を読むために、50歳近くにしてドイツ語の勉強を始めなくてはならなかったのです。 知られざる哲学者（Le Philosophe unconnu)という名で著書を出版した神秘思想家、ルイ・クロード・ド・サン・マルタン（Louis-Claude de Saint-Martin）は、1743年にフランス・ロワール河流域のアンボワーズに生まれました。3歳の時に母親と死別し、以後義理の母親に育てられます。「わたしの幸福は、すべて（義理の）母のおかげなのです。」とサン・マルタンは回想します。彼女のやさしい気遣い、愛情、敬虔さ、そしてその教育が、彼を神のみならず人への愛情に導いたと言います。コレージュを出た後、パリで法学を学びましたが司法官職には向かず、平時にはより自由な時間が持てた軍隊に入ります。25歳のとき、秘教団体の創立者として知られる謎めいたスペイン人、マルチネス・ド・パスカリに出会いました。そして結局は軍人としての職も放棄し、パスカリの個人秘書となります。ただ、サン・マルタンはパスカリについて多くを語りません。パスカリの創立した秘教団体では、あらゆる秘術・実験に参加しましたが、それには常に懐疑的でした。「このような外面的な方法は、私を引きつけませんでした。-（中略）-私は一度ならず師に向かって叫びました。『このようなものすべては、神を見出すのに必要なのでしょうか？』」パスカリの死後、サン・マルタンはこのような結社から離れました。 「私の現世における仕事は、人々の精神を、自然な道筋に よって神秘的な事柄へ導くことです。人は自分に相応しいその観念を、一方では堕落によって、また一方では教師らのしばしば誤った知識により、失っています。」自分の人生を支配した情熱、その目的を、サン・マルタンはこのように表現しました。 サン・マルタンは壮年時この使命を、著作によってだけでなく、パリ上流社会で影響力を持つことによって達成しようとしました。当時エリゼ宮を所有していたブルボン公爵夫人を友人とし、神秘家・哲学者としては社会的成功を収めたと言えます。物腰は優美で人懐こく、また謙虚でもあり、魅力的な容貌であった彼はどこでも歓迎される思想家でした。（やがてこの方法に限界を感じてからは、執筆活動により時間を割くようになります。） サン・マルタンはジョゼフ・ド・メーストルの先駆者と言われることもあります。ドイツには「非道な教義(doctrines infernales)」である啓蒙思想が蔓延し、フランスでは自然崇拝や物質主義が氾濫していたなか、サン・マルタンは神聖の崇拝者であり神意(La Providence)の擁護者でした。しかし彼にはメーストルのように必殺の寸鉄句を持って論争相手を打ち砕くことへの嗜好はありません。穏便な説得と勧告によって、まだ硬直していない精神を持つ知的な人々へと働きかけようとしました。 「十全なる真理に論理的思考だけで到達できるかのように振舞うことは、虚しいことである。このような方法では、我々はただ合理的な真理へしかたどり着けない。しかしそうはあっても、（論理的思考には）際限なく価値があり、誤った哲学からの攻撃に対抗する為の手段に富んでいる」 サン・マルタンにとって、人は異国に植えられた植物に似たものでした。彼の本質は異国（地上）には属してはいず、たとえ異国の養分を吸収し堕落してその世界に同化はしても、異国は滞在地であり、故郷ではないことに変わりはないのです。 原書：Correspondance de Saint-Martin avec Kirchberger, baron de Liebistorf (1792-1797)<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=24&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_58" class="wp-caption alignleft" style="width: 150px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/lcdesaintmartin.jpg"><img class="size-full wp-image-58" title="lcdesaintmartin" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/lcdesaintmartin.jpg?w=140&#038;h=213" alt="book" width="140" height="213" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;"><span style="font-family:&quot;"><br />
「ムッシュー、どうか見知らぬ人からの、このような手紙に驚かないでいただきたい。あなたの文章と人柄の素晴らしさが、私にペンを取らせたのです。」<span lang="EN-US"><br />
1792年、スイスのある男爵は「知られざる哲学者」という筆名で『誤謬と真実』を出版した人物に、こう手紙を出しました。<br />
男爵は「知られざる哲学者」が著作で使った用語、「能動的・理知的原因(La cause active et intelligente)」や「徳(Les vertus)」について説明を請います。熱心な質問には、フランスからすぐに丁寧な返事が届きました。<br />
ここから、二人の文通は始まります。<br />
男爵は自分の知的興味の赴くまま、文通相手に意見や助言を求めました。ことにオカルティズムの実験と研究については、なんども意見を求めました。そして、温和で忍耐強く優しい哲学者から、ついにはいらだったような返事を受け取ります。<br />
「なんという富をあなたはその手にもっていることでしょう！その富の宝庫を目の前にして、あなたがまだそのような下位の法則の研究に時間を無駄にしているとしたら、私は非常に残念なことと思います。」<br />
ここでこのフランス人哲学者が指している富とは、二人が話題にした神秘家たちのなかでも、とりわけヤコブ・ベーメの著書でした。男爵はドイツ語が母語だったため彼の著作を自由に読めましたが、文通相手はヤコブ・ベーメの著作を読むために、50歳近くにしてドイツ語の勉強を始めなくてはならなかったのです。</span></span></p>
<p>知られざる哲学者（Le Philosophe unconnu)という名で著書を出版した神秘思想家、ルイ・クロード・ド・サン・マルタン（Louis-Claude de Saint-Martin）は、1743年にフランス・ロワール河流域のアンボワーズに生まれました。3歳の時に母親と死別し、以後義理の母親に育てられます。「わたしの幸福は、すべて（義理の）母のおかげなのです。」とサン・マルタンは回想します。彼女のやさしい気遣い、愛情、敬虔さ、そしてその教育が、彼を神のみならず人への愛情に導いたと言います。コレージュを出た後、パリで法学を学びましたが司法官職には向かず、平時にはより自由な時間が持てた軍隊に入ります。25歳のとき、秘教団体の創立者として知られる謎めいたスペイン人、マルチネス・ド・パスカリに出会いました。そして結局は軍人としての職も放棄し、パスカリの個人秘書となります。ただ、サン・マルタンはパスカリについて多くを語りません。パスカリの創立した秘教団体では、あらゆる秘術・実験に参加しましたが、それには常に懐疑的でした。「このような外面的な方法は、私を引きつけませんでした。<span lang="EN-US">-（中略）-私は一度ならず師に向かって叫びました。『このようなものすべては、神を見出すのに必要なのでしょうか？』」パスカリの死後、サン・マルタンはこのような結社から離れました。</span><span style="font-family:&quot;"></span></p>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;"><span style="font-family:&quot;"><span lang="EN-US">「私の現世における仕事は、人々の精神を、自然な道筋に よって神秘的な事柄へ導くことです。人は自分に相応しいその観念を、一方では堕落によって、また一方では教師らのしばしば誤った知識により、失っています。」自分の人生を支配した情熱、その目的を、サン・マルタンはこのように表現しました。<br />
サン・マルタンは壮年時この使命を、著作によってだけでなく、パリ上流社会で影響力を持つことによって達成しようとしました。当時エリゼ宮を所有していたブルボン公爵夫人を友人とし、神秘家・哲学者としては社会的成功を収めたと言えます。物腰は優美で人懐こく、また謙虚でもあり、魅力的な容貌であった彼はどこでも歓迎される思想家でした。（やがてこの方法に限界を感じてからは、執筆活動により時間を割くようになります。）</span></span></p>
<p>サン・マルタンはジョゼフ・ド・メーストルの先駆者と言われることもあります。ドイツには「非道な教義(doctrines infernales)」である啓蒙思想が蔓延し、フランスでは自然崇拝や物質主義が氾濫していたなか、サン・マルタンは神聖の崇拝者であり神意(La<br />
Providence)の擁護者でした。しかし彼にはメーストルのように必殺の寸鉄句を持って論争相手を打ち砕くことへの嗜好はありません。穏便な説得と勧告によって、まだ硬直していない精神を持つ知的な人々へと働きかけようとしました。<br />
「十全なる真理に論理的思考だけで到達できるかのように振舞うことは、虚しいことである。このような方法では、我々はただ合理的な真理へしかたどり着けない。しかしそうはあっても、（論理的思考には）際限なく価値があり、誤った哲学からの攻撃に対抗する為の手段に富んでいる」<br />
サン・マルタンにとって、人は異国に植えられた植物に似たものでした。彼の本質は異国（地上）には属してはいず、たとえ異国の養分を吸収し堕落してその世界に同化はしても、異国は滞在地であり、故郷ではないことに変わりはないのです。</p>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;">
<p class="MsoNormal"><em><span>原書：Correspondance<span style="font-family:&quot;"> </span>de Saint-Martin avec Kirchberger, baron de Liebistorf</span><span><span lang="ja-JP"> </span></span><span>(1792-1797)<br />
</span></em><span style="font-family:&quot;"> </span></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/24/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/24/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/24/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/24/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=24&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/10/28/saint-martin/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>2</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/lcdesaintmartin.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">lcdesaintmartin</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>M・アシン・パラシオス『イスラムと《神曲》』/Islam and the Divine Comedy  by Miguel Palacios</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/07/21/asin_palasios/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/07/21/asin_palasios/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 21 Jul 2007 23:49:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[Miguel Palacios　アシン・パラシオス　]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/07/21/m%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%91%e3%83%a9%e3%82%b7%e3%82%aa%e3%82%b9%e3%80%8e%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%a0%e3%81%a8%e3%80%8a%e7%a5%9e%e6%9b%b2%e3%80%8b%e3%80%8fislam-and/</guid>
		<description><![CDATA[スペインのアラブ学者M・アシン・パラシオスは、おそらく20世紀に書かれたダンテ研究のなかで、最も物議をかもした論文を残しました。ローマ・カトリック神父であり、またマドリード大学教授でもあったアシン・パラシオスの主張は、ダンテの『神曲』はこの詩人の才能によって無から生み出されたのではなく、イスラームの神学的文献からインスピレーションを得、そこから多くの形式と内容を借りて書かれたものである、というものでした。1919年『神曲におけるイスラム終末論』が出版されるや、賛否両論の嵐がヨーロッパ中に起こります。 アシン・パラシオスは、なかでもDoctor maximus（最大の師）と呼ばれる偉大なイスラムの思想家、イブン・アラビーの『夜の旅の書』、The Book of the Nocturnal Journeyと、『神曲』の間に多くの関連を見出します。 ― 精神の目的は、実在の本質である神についての認識を獲得することである。この目的に向かう道を探すうちに彼らは、創造者の知識に彼らを導く使徒と出会う。ある人々は感謝のうちに使徒の導きを受け入れ、またある人々は、自分たちの認識の能力がまったく劣るものではないというのを理由に、その導きを見下して受け入れない。前者が、啓示された教義の導く方向へと従い進む一方、後者はただ自身の理性の光にのみ導かれて進む。 ここに神秘的寓意物語が始まる。物語の主人公は二人の旅人で、それぞれ上記二種類の人々に分類される神学者と合理主義的哲学者である。彼らは同時に、神へと向かう旅路へ出発する。・・・・・・ 『夜の旅の書』はこのようにして始まります。 アシン・パラシオスは『神曲』の主人公と、『夜の旅の書』の主人公たちの類似を指摘します。ダンテは最初ウェルギリウスに導かれる哲学者として出発し、その後ベアトリスの教えを受けて神学者として天上へと導かれるのです。 ダンテとイブン・アラビーは、これらの旅を象徴として用いました。象徴されているのは、最終的な目標に達するための準備として神より託されたような、この世における精神的生です・・・。 ところでルネ・ゲノンは、『ダンテのエゾテリスム』で、ダンテとイブン・アラビーの精神がどこで出会ったかを暗示しています。ダンテは、アヴェロエスやアヴィセンナの名前は書き残しましたが、イブン・アラビーについてはそうではありませんでした。なぜなら（ゲノンによれば）、当時イブン・アラビーの形而上学は“俗な“経路によってもたらされたのではなく、秘教的な教えとして一般には隠された経路で伝えられたものだったからなのです。 Islam and the Divine Comedy  by Miguel Palacios<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=23&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_62" class="wp-caption alignleft" style="width: 138px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/islamandthedivinecomedy.jpg"><img class="size-full wp-image-62" title="islamandthedivinecomedy" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/islamandthedivinecomedy.jpg?w=128&#038;h=200" alt="book" width="128" height="200" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span><span style="font-family:&quot;"> スペインのアラブ学者</span><span lang="EN-US">M</span><span style="font-family:&quot;">・アシン・パラシオスは、おそらく</span><span lang="EN-US">20</span><span style="font-family:&quot;">世紀に書かれたダンテ研究のなかで、最も物議をかもした論文を残しました。ローマ・カトリック神父であり、またマドリード大学教授でもあったアシン・パラシオスの主張は、ダンテの『神曲』はこの詩人の才能によって無から生み出されたのではなく、イスラームの神学的文献からインスピレーションを得、そこから多くの形式と内容を借りて書かれたものである、というものでした。</span><span lang="EN-US">1919</span><span style="font-family:&quot;">年『神曲におけるイスラム終末論』が出版されるや、賛否両論の嵐がヨーロッパ中に起こります。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> アシン・パラシオスは、なかでも</span><span lang="EN-US">Doctor<br />
maximus</span><span style="font-family:&quot;">（最大の師）と呼ばれる偉大なイスラムの思想家、イブン・アラビーの『夜の旅の書』、</span><span lang="EN-US">The Book of the Nocturnal Journey</span><span style="font-family:&quot;">と、『神曲』の間に多くの関連を見出します。</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;">―</span> <span style="font-family:&quot;">精神の目的は、実在の本質である神についての認識を獲得することである。この目的に向かう道を探すうちに彼らは、創造者の知識に彼らを導く使徒と出会う。ある人々は感謝のうちに使徒の導きを受け入れ、またある人々は、自分たちの認識の能力がまったく劣るものではないというのを理由に、その導きを見下して受け入れない。前者が、啓示された教義の導く方向へと従い進む一方、後者はただ自身の理性の光にのみ導かれて進む。<br />
ここに神秘的寓意物語が始まる。物語の主人公は二人の旅人で、それぞれ上記二種類の人々に分類される神学者と合理主義的哲学者である。彼らは同時に、神へと向かう旅路へ出発する。・・・・・・</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 『夜の旅の書』はこのようにして始まります。<br />
アシン・パラシオスは『神曲』の主人公と、『夜の旅の書』の主人公たちの類似を指摘します。ダンテは最初ウェルギリウスに導かれる哲学者として出発し、その後ベアトリスの教えを受けて神学者として天上へと導かれるのです。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> ダンテとイブン・アラビーは、これらの旅を象徴として用いました。象徴されているのは、最終的な目標に達するための準備として神より託されたような、この世における精神的生です・・・。</p>
<p>ところでルネ・ゲノンは、『ダンテのエゾテリスム』で、ダンテとイブン・アラビーの精神がどこで出会ったかを暗示しています。ダンテは、アヴェロエスやアヴィセンナの名前は書き残しましたが、イブン・アラビーについてはそうではありませんでした。なぜなら（ゲノンによれば）、当時イブン・アラビーの形而上学は“俗な“経路によってもたらされたのではなく、秘教的な教えとして一般には隠された経路で伝えられたものだったからなのです。</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal"><em><strong><span class="sans">Islam and the Divine Comedy  by Miguel Palacios</span><span lang="EN-US"> </span></strong></em></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/23/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/23/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/23/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/23/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=23&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/07/21/asin_palasios/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/islamandthedivinecomedy.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">islamandthedivinecomedy</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>ゲルショム・ショーレム 『ベルリンからエルサレムへ』/Von Berlin nach Jerusalem. Jugenderinnerungen von Gershom Scholem</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/07/08/gershom_sholem/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/07/08/gershom_sholem/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 08 Jul 2007 13:10:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[グスタフ･マイリンク　ゲルショム・ショーレム　Gustav Meyrink]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/07/08/%e3%82%b2%e3%83%ab%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%a0%e3%83%bb%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%83%a0-%e3%80%8e%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%81%8b%e3%82%89%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%82%b5%e3%83%ac/</guid>
		<description><![CDATA[ゾーハルやカバラ、ユダヤ神秘主義の分野において著名なショーレムは、ヴァルター・ベンヤミンの親友でもありました。この自伝では多くのページがベンヤミンの思い出に費やされています。大学に失望してふたりで架空の大学を設立し、その運営上の問題について意見を交換したこと、ベンヤミンの不幸な結婚生活を目撃して辛い思いをしたこと・・・。 ショーレムが同時代に会ったその他の知識人には、ブロッホ、アドルノ、ホルクハイマー、ハンナ・アーレントなどがいます。アドルノとアーレント（彼らはたがいに嫌いあっていたのですが）ともうまくつきあうことができました。これは友人としてはひどくつきあいにくいベンヤミンとの、長年の交流から獲得された性質による、とショーレムは回想します。 ショーレムの会った人々のなかでも、特異な人物がこの自伝に現れます。 「反ブルジュア的な風刺の水際立った才能を、神秘主義の誇大宣伝のしたたかな才能と結合させた有名な作家」、グスタフ･マイリンクです。ショーレムによれば、当時マイリンクの文学的な質を陵駕するのはホルへ･ルイス･ボルヘスだけでした。 ショーレムはあるとき知人から、マイリンクが自分自身の著作の数箇所を説明してもらいたがっていると聞きました。そして1921年「ある程度好奇心にかられて」、彼に会いに行きます。「作家というものがいかに偽の神秘的印象をちょろまかすことができるか」、、、ショーレムはマイリンクの印象を、「さながら究極の小ブルジュアといった風貌で、そのぱっとしない外観は彼の書く幻想的な物語とは裏腹であった」と書いています。 マイリンクは突然問いかけます、「神がどこに住まわれているか、ご存知ですか」。その時「人が神を入らせるところ」という有名なラビの言葉で、ショーレムが答えたかは分かりません。 マイリンクはショーレムを穴のあくほど見つめて言いました。「脊髄にです！」。 *グスタフ・マイリンク 原書 Von Berlin nach Jerusalem. Jugenderinnerungen　von Gershom Scholem<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=22&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_65" class="wp-caption alignleft" style="width: 100px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/berlin-jerusalem.jpg"><img class="size-full wp-image-65" title="berlin-jerusalem" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/berlin-jerusalem.jpg?w=90&#038;h=150" alt="book" width="90" height="150" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"><br />
ゾーハルやカバラ、ユダヤ神秘主義の分野において著名なショーレムは、ヴァルター・ベンヤミンの親友でもありました。この自伝では多くのページがベンヤミンの思い出に費やされています。大学に失望してふたりで架空の大学を設立し、その運営上の問題について意見を交換したこと、ベンヤミンの不幸な結婚生活を目撃して辛い思いをしたこと・・・。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> ショーレムが同時代に会ったその他の知識人には、ブロッホ、アドルノ、ホルクハイマー、ハンナ・アーレントなどがいます。アドルノとアーレント（彼らはたがいに嫌いあっていたのですが）ともうまくつきあうことができました。これは友人としてはひどくつきあいにくいベンヤミンとの、長年の交流から獲得された性質による、とショーレムは回想します。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> ショーレムの会った人々のなかでも、特異な人物がこの自伝に現れます。<br />
「反ブルジュア的な風刺の水際立った才能を、神秘主義の誇大宣伝のしたたかな才能と結合させた有名な作家」、グスタフ･マイリンクです。ショーレムによれば、当時マイリンクの文学的な質を陵駕するのはホルへ･ルイス･ボルヘスだけでした。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> </span><span style="font-family:&quot;">ショーレムは</span><span style="font-family:&quot;">あるとき知人から、マイリンクが自分自身の著作の数箇所を説明してもらいたがっていると聞きました。そして</span><span lang="EN-GB">1921</span><span style="font-family:&quot;">年「ある程度好奇心にかられて」、彼に会いに行きます。「作家というものがいかに偽の神秘的印象をちょろまかすことができるか」、、、ショーレムはマイリンクの印象を、「さながら究極の小ブルジュアといった風貌で、そのぱっとしない外観は彼の書く幻想的な物語とは裏腹であった」と書いています。</span></p>
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> マイリンクは突然問いかけます、「神がどこに住まわれているか、ご存知ですか」。その時「人が神を入らせるところ」という有名なラビの言葉で、ショーレムが答えたかは分かりません。<br />
マイリンクはショーレムを穴のあくほど見つめて言いました。「脊髄にです！」。<br />
<span style="font-size:.8em;"><br />
</span></span></p>
<div id="attachment_67" class="wp-caption alignnone" style="width: 160px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gustavmeyrink.gif"><img class="size-full wp-image-67" title="gustavmeyrink" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gustavmeyrink.gif?w=150&#038;h=222" alt="Gustav Meyrink" width="150" height="222" /></a><p class="wp-caption-text">photo:Gustav Meyrink</p></div>
<p><span style="font-family:&quot;"><span style="font-size:.8em;"> *グスタフ・マイリンク</span></span></p>
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal">
<p class="MsoNormal">
<p><span style="font-size:.8em;">原書 </span><span style="font-size:.8em;"><a onclick="return mugicPopWin(this,event);" oncontextmenu="mugicRightClick(this);" href="http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3633540865/qid=1148728854/sr=1-4/ref=sr_1_11_4/303-5671396-3450656"><span class="sans">Von Berlin nach Jerusalem. Jugenderinnerungen　von Gershom Scholem</span></a></span></p>
<p class="MsoNormal">
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/22/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/22/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/22/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/22/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=22&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/07/08/gershom_sholem/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/berlin-jerusalem.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">berlin-jerusalem</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gustavmeyrink.gif" medium="image">
			<media:title type="html">gustavmeyrink</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『鋼鉄の嵐の中で』エルンスト･ユンガー/In Stahlgewittern von Ernst Jünger</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/06/19/ernst_junger/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/06/19/ernst_junger/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 19 Jun 2007 21:39:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[エルンスト･ユンガー　鋼鉄の嵐の中で]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/06/19/%e3%80%8e%e9%8b%bc%e9%89%84%e3%81%ae%e5%b5%90%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%a7%e3%80%8f%e3%82%a8%e3%83%ab%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%88%ef%bd%a5%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%82%ac%e3%83%bcin-stahlgewittern-von-ernst/</guid>
		<description><![CDATA[エルンスト･ユンガーは、トーマス・マンの死後、現代ドイツ文学で最も優れた作家とも言われています。第一次世界大戦を勇戦し、ドイツ軍人として最高の勲章を受けました。第二次世界大戦中はパリのドイツ軍司令部に勤務しましたが、ヒトラー暗殺計画に関わったためにドイツ軍から追放されました。パリ滞在中の日記には、ジャン・コクトー、ガストン・ガリマール、ジョルジュ・ブラック、ピカソ、ドリュ・ラ・ロシェルなど、当時パリにいた著名人が次々と登場します。この日記の仏訳（Jardins et Routes）の出版により、ユンガーはフランスに多くの愛読者を持つことになりました。ミッテランもその一人です。終戦後は、ライプツィヒとナポリの大学で動物学と哲学を修め、その後作家として執筆を続けました。その名の示すとおり &#8211; Junger &#8211; younger -、102歳まで生きた長命の作家でもあります。 ユンガーは第一次世界大戦の戦場での出来事を、ひとつひとつ冷静に日記に書きとめました。 ジャンヌ・ダルクとあだ名した勝ち気なフランス人少女との夕食、屠殺場と化す凄惨な戦場、放置されたまま腐敗する死体のなかの行進、日なたのなかで背伸びする猫のように体を伸ばし、まだ幼い顔に微笑みを浮かべて死んでゆく兵士、限界まで神経が張りつめられる夜間の作戦、草上でアリオストを読みながらの休息、戦場で負傷した弟との再会とその救出、勇敢な戦友たちの死と自らの負傷の数々・・・。　アンドレ･ジッドはこの『鋼鉄の嵐の中で』を、「戦争について書かれた本のなかで、疑いなく最も美しい(incontestablement le plus beau livre de guerre que j’aie lu)」と書いています。 あるときユンガーは、ポケットから家族の写真を出して見せ、命乞いをするイギリス兵を見逃して助けました。致命傷を負って倒れ、自分の足にすがってきた兵士の背をやさしくたたき、指揮する為にその場を離れました。またあるときには、塹壕戦で倒した敵の顔を、まじかに覗き込みました。倒れているのが、自分ではない理由があったでしょうか？兵士は運命論者にならざるを得ません。鋼鉄の嵐、戦場のなかでは、生死を分ける行動を選択する余地など、ないのです。 『鋼鉄の嵐の中で』には、ヘミングウェイにみられるような臆病さの気配も、T.E.ローレンスのマゾヒズムも、『西部戦線異常なし』のレマルクの憐憫の情も見られない、とブルース･チャトウィンは書いています。「そのかわりに、ユンガーは、人間の“基本的な”他人を殺す本能についての信念を提示する。－（戦争は）ひとつのゲームであり、もし正しくなされたなら、騎士道的な規範に従うものなのだ」 ユンガーは、1918年カンブレー付近の絶望的な戦いで銃弾を浴びて倒れたときを、人生で本当に幸福だった数少ない瞬間でもあった、と回想します。「その瞬間わたしは理解した、閃光のように、わたしの人生を、その構造の最も奥深く隠されたところで。」&#160;&#187;真理の光は陽の光に似て、好ましい場所に刺すとは限らない&#160;&#187;ー日記の迷宮のなかで、ユンガーは静かに語りかけてくるのです。 &#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211; 原書　　In Stahlgewittern von Ernst Jünger Das Begleitbuch zu Ernst Jünger &#8216;In Stahlgewittern&#8217;: Footnotes to The Reader&#8217;s Companion to Ernst Jünger&#8217;s &#171;&#160;In Storm of Steel&#160;&#187; by Nils Fabiansson ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』の脚注。（ドイツ語および英語） ユンガーが約50年間暮らした家 the Stauffenberg&#8217;s forest [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=21&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_70" class="wp-caption alignleft" style="width: 245px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/ernst_junger.jpg"><img class="size-full wp-image-70" title="ernst_junger" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/ernst_junger.jpg?w=235&#038;h=300" alt="book" width="235" height="300" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;">
<span lang="EN-US"> </span><span style="font-family:&quot;"> エルンスト･ユンガーは、トーマス・マンの死後、現代ドイツ文学で最も優れた作家とも言われています。第一次世界大戦を勇戦し、ドイツ軍人として最高の勲章を受けました。第二次世界大戦中はパリのドイツ軍司令部に勤務しましたが、ヒトラー暗殺計画に関わったためにドイツ軍から追放されました。パリ滞在中の日記には、ジャン・コクトー、ガストン・ガリマール、ジョルジュ・ブラック、ピカソ、ドリュ・ラ・ロシェルなど、当時パリにいた著名人が次々と登場します。この日記の仏訳（Jardins et Routes）の出版により、ユンガーはフランスに多くの愛読者を持つことになりました。ミッテランもその一人です。終戦後は、ライプツィヒとナポリの大学で動物学と哲学を修め、その後作家として執筆を続けました。その名の示すとおり &#8211; Junger &#8211; younger -、102歳まで生きた長命の作家でもあります。</span></p>
<p>ユンガーは第一次世界大戦の戦場での出来事を、ひとつひとつ冷静に日記に書きとめました。<br />
ジャンヌ・ダルクとあだ名した勝ち気なフランス人少女との夕食、屠殺場と化す凄惨な戦場、放置されたまま腐敗する死体のなかの行進、日なたのなかで背伸びする猫のように体を伸ばし、まだ幼い顔に微笑みを浮かべて死んでゆく兵士、限界まで神経が張りつめられる夜間の作戦、草上でアリオストを読みながらの休息、戦場で負傷した弟との再会とその救出、勇敢な戦友たちの死と自らの負傷の数々・・・。　アンドレ･ジッドはこの『鋼鉄の嵐の中で<span style="font-family:&quot;">』を、「戦争について書かれた本のなかで、疑いなく最も美しい(incontestablement le plus beau livre de guerre que j’aie lu)」と書いています。<br />
あるときユンガーは、ポケットから家族の写真を出して見せ、命乞いをするイギリス兵を見逃して助けました。致命傷を負って倒れ、自分の足にすがってきた兵士の背をやさしくたたき、指揮する為にその場を離れました。またあるときには、塹壕戦で倒した敵の顔を、まじかに覗き込みました。倒れているのが、自分ではない理由があったでしょうか？兵士は運命論者にならざるを得ません。鋼鉄の嵐、戦場のなかでは、生死を分ける行動を選択する余地など、ないのです。</span></p>
<p>『鋼鉄の嵐の中で<span style="font-family:&quot;">』には、ヘミングウェイにみられるような臆病さの気配も、T.E.ローレンスのマゾヒズムも、『西部戦線異常なし』のレマルクの憐憫の情も見られない、とブルース･チャトウィンは書いています。「そのかわりに、ユンガーは、人間の“基本的な”他人を殺す本能についての信念を提示する。－（戦争は）ひとつのゲームであり、もし正しくなされたなら、騎士道的な規範に従うものなのだ」</span></p>
<p>ユンガーは、1918年カンブレー付近の絶望的な戦いで銃弾を浴びて倒れたときを、人生で本当に幸福だった数少ない瞬間でもあった、と回想します。「その瞬間わたしは理解した、閃光のように、わたしの人生を、その構造の最も奥深く隠されたところで。」&nbsp;&raquo;真理の光は陽の光に似て、好ましい場所に刺すとは限らない&nbsp;&raquo;ー日記の迷宮のなかで、ユンガーは静かに語りかけてくるのです。</p>
<div id="attachment_71" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/junger1918.jpg"><img class="size-full wp-image-71" title="junger1918" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/junger1918.jpg?w=400&#038;h=339" alt="photo;album" width="400" height="339" /></a><p class="wp-caption-text">photo;album</p></div>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;"><span style="font-family:&quot;">&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8212;&#8211;<br />
<em>原書　　<a onclick="return mugicPopWin(this,event);" oncontextmenu="mugicRightClick(this);" href="http://www.amazon.de/Stahlgewittern-Ernst-J%C3%BCnger/dp/360895208X/ref=pd_bbs_sr_1/028-0100729-1775738?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1180162437&amp;sr=8-1">In Stahlgewittern von Ernst Jünger</a></em></span></p>
<p><em></em><a href="http://stahlgewittern.blogspot.com/">Das Begleitbuch zu Ernst Jünger &#8216;In Stahlgewittern&#8217;</a>:<br />
Footnotes to The Reader&#8217;s Companion to Ernst Jünger&#8217;s &laquo;&nbsp;In Storm of Steel&nbsp;&raquo; by Nils Fabiansson<br />
ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』の脚注。（ドイツ語および英語）</p>
<p>ユンガーが約50年間暮らした家<br />
<a href="http://www.juenger-haus.de/indexa.html">the Stauffenberg&#8217;s forest house</a></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/21/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/21/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/21/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/21/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=21&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/06/19/ernst_junger/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/ernst_junger.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">ernst_junger</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/junger1918.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">junger1918</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『日本の弓術』オイデン・ヘリゲル柴田 治三郎 (翻訳)/Zen in the Art of Archery by Eugen Herrigel</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/04/01/herrigel/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/04/01/herrigel/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 01 Apr 2007 14:00:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[文化・芸術]]></category>
		<category><![CDATA[オイデン・ヘリゲル]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/04/01/%e3%80%8e%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%bc%93%e8%a1%93%e3%80%8f%e3%82%aa%e3%82%a4%e3%83%87%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%83%98%e3%83%aa%e3%82%b2%e3%83%ab%e6%9f%b4%e7%94%b0-%e6%b2%bb%e4%b8%89%e9%83%8e/</guid>
		<description><![CDATA[弓術は、神秘的合一（ウーニオ・ミスチカ）、神性との一致、仏陀の発現へと通じる道である。 ドイツ人の哲学者オイデン・ヘリゲルは弓術を仮に、このように定義しました。「弓術の基をなしている精神的修練は、これを正しく解するならば、神秘的修練であり、したがって弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行おうとするのではなく、自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとするある意味をもっている。それゆえ、弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託にすぎない。」 ドイツ神秘説に親しく、日本の精神文化に心を開いたヘリゲル以外、誰がこのように言えたでしょう。ヘリゲルは学生のころからドイツ神秘説を詳しく調べていました。そのとき、「これを完全に理解するためには自分には何かが欠けている」と悟りました。東北帝国大学での教職を受けたのは、日本を知り、そして生きた仏教への接触によって、神秘説の本質についての理解が、ひょっとしたら得られるかも知れないと思ったからでした。 「不撓不屈、ドイツ人特有の徹底振りで稽古を続けた」ヘリゲルは、呼吸法、筋肉の脱力の仕方、それらを習得して、1年後には弓の正しい引き方を会得しました。しかし、工夫してみても先生のように矢を射ることができず、自分でその技術のコツを解明することを諦め、先生に告白します。そこで、正しい矢の放ち方をするためには完全に無我になることだ、と教えられますが、納得できません。意志を持たずにどうやって的を狙い、矢を放つことができるでしょう？そのようなことは実際にはありえず、何か技巧があって、ただ表面上無心でなされているように見えるだけなのだと考えるようになりました。夏休みの間、この技巧を徹底的に研究したヘリデルは、夏休み明けの最初の稽古で、その成果を見せます。それは自分の目からみて見事な射方でした。しかし、先生には無言で否定されます。 この短い体験記のクライマックスは、その1年後、弓術を習って４年目のことです。 精神的に射ることを理解も習得もできないままでいたヘリデルに、先生は夜中に訪問するようにと言います。 「私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の蚊取線香に火をともして、それを垜（あずち）の中ほどにある的の前の砂に立てた。（中略）的は真っ暗なところにあり、蚊取線香のかすかに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。」そこで、先生は第一の矢を命中させました。第二の矢は、第一の矢の筈にあたり、それを二つに裂きました。 これは、技術で到達できる、合理的に考えて可能なことではありませんでした。 信じがたいエピソードですが、この経験からヘリデルは無我の境地の存在を納得し、またそれによって到達できるところは、なじんだ合理的に説明できる結果を超えたものだということを知りました。 ドイツ神秘主義の、「最後の門」の前に立ち、しかも開くべき鍵を持っていないと感じていたヘリゲルにとって、これこそが鍵となるものでした。 「神秘的な生活、非有の中の有、これはまったく筆舌に尽くしがたく、また何物にもたとえることができない。それをみずから経験したことがない者には、言葉ではそれが言い換えられるだけで、とうてい言い表すことはできないという事実を、知ることもできない。禅の書物にはなぜ逆説がおびただしく含まれているのか、参禅者が底のない（無限の）ものを思考をもって究めようとすることを最終的に断念するまではなぜそれらの逆説でみずからを苛むのか、そのことを理解するためには、それをみずから経験していなければならない。経験があって初めて、無の概念があらゆる神秘説において決定的な役割を演じていること、しかもそれがもっとも充実した、もっとも力強い、もっとも実在性のあるものを目指しているということが、理解される。（中略）神性と現世の生活との間には、完全な忘我と明瞭な自我意識との間の同一の、立ちがたい関係がある。非有の中の有の経験が自己の経験となるのは、無我の境に移された者が自己存在の中へ、死者が生成の中へ幾度でも投げ返され、そのようにして、自己の存在の軌道を越えたはるか彼方にまで意義を有するものを、自己自身について経験する、ということによるほかない。」 東洋的な無我の精神と、マイスター・エックハルトの説いた離脱のそれとが、ヘリゲルの内で出会ったようです。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=19&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 弓術は、神秘的合一（ウーニオ・ミスチカ）、神性との一致、仏陀の発現へと通じる道である。<br />
ドイツ人の哲学者オイデン・ヘリゲルは弓術を仮に、このように定義しました。「弓術の基をなしている精神的修練は、これを正しく解するならば、神秘的修練であり、したがって弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行おうとするのではなく、自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとするある意味をもっている。それゆえ、弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託にすぎない。」<br />
ドイツ神秘説に親しく、日本の精神文化に心を開いたヘリゲル以外、誰がこのように言えたでしょう。ヘリゲルは学生のころからドイツ神秘説を詳しく調べていました。そのとき、「これを完全に理解するためには自分には何かが欠けている」と悟りました。東北帝国大学での教職を受けたのは、日本を知り、そして生きた仏教への接触によって、神秘説の本質についての理解が、ひょっとしたら得られるかも知れないと思ったからでした。</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 「不撓不屈、ドイツ人特有の徹底振りで稽古を続けた」ヘリゲルは、呼吸法、筋肉の脱力の仕方、それらを習得して、</span><span lang="EN-US">1</span><span style="font-family:&quot;">年後には弓の正しい引き方を会得しました。しかし、工夫してみても先生のように矢を射ることができず、自分でその技術のコツを解明することを諦め、先生に告白します。そこで、正しい矢の放ち方をするためには完全に無我になることだ、と教えられますが、納得できません。意志を持たずにどうやって的を狙い、矢を放つことができるでしょう？そのようなことは実際にはありえず、何か技巧があって、ただ表面上無心でなされているように見えるだけなのだと考えるようになりました。夏休みの間、この技巧を徹底的に研究したヘリデルは、夏休み明けの最初の稽古で、その成果を見せます。それは自分の目からみて見事な射方でした。しかし、先生には無言で否定されます。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> この短い体験記のクライマックスは、その</span><span lang="EN-US">1</span><span style="font-family:&quot;">年後、弓術を習って４年目のことです。<br />
精神的に射ることを理解も習得もできないままでいたヘリデルに、先生は夜中に訪問するようにと言います。<br />
「私たちは先生の家の横にある広い道場に入った。先生は編針のように細長い一本の蚊取線香に火をともして、それを垜（あずち）の中ほどにある的の前の砂に立てた。（中略）的は真っ暗なところにあり、蚊取線香のかすかに光る一点は非常に小さいので、なかなかそのありかが分からないくらいである。」そこで、先生は第一の矢を命中させました。第二の矢は、第一の矢の筈にあたり、それを二つに裂きました。<br />
これは、技術で到達できる、合理的に考えて可能なことではありませんでした。</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 信じがたいエピソードですが、この経験からヘリデルは無我の境地の存在を納得し、またそれによって到達できるところは、なじんだ合理的に説明できる結果を超えたものだということを知りました。<br />
ドイツ神秘主義の、「最後の門」の前に立ち、しかも開くべき鍵を持っていないと感じていたヘリゲルにとって、これこそが鍵となるものでした。</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 「神秘的な生活、非有の中の有、これはまったく筆舌に尽くしがたく、また何物にもたとえることができない。それをみずから経験したことがない者には、言葉ではそれが言い換えられるだけで、とうてい言い表すことはできないという事実を、知ることもできない。禅の書物にはなぜ逆説がおびただしく含まれているのか、参禅者が底のない（無限の）ものを思考をもって究めようとすることを最終的に断念するまではなぜそれらの逆説でみずからを苛むのか、そのことを理解するためには、それをみずから経験していなければならない。経験があって初めて、無の概念があらゆる神秘説において決定的な役割を演じていること、しかもそれがもっとも充実した、もっとも力強い、もっとも実在性のあるものを目指しているということが、理解される。（中略）神性と現世の生活との間には、完全な忘我と明瞭な自我意識との間の同一の、立ちがたい関係がある。非有の中の有の経験が自己の経験となるのは、無我の境に移された者が自己存在の中へ、死者が生成の中へ幾度でも投げ返され、そのようにして、自己の存在の軌道を越えたはるか彼方にまで意義を有するものを、自己自身について経験する、ということによるほかない。」</span><span lang="EN-US"> </span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 東洋的な無我の精神と、マイスター・エックハルトの説いた離脱のそれとが、ヘリゲルの内で出会ったようです。</span></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/19/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/19/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/19/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/19/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=19&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/04/01/herrigel/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『シャンドール ピアノ教本―身体・音・表現』　ジョルジ シャンドール/On Piano Playing: Motion, Sound and Expression by Gyorgy Sandor</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2007/02/23/sandor/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2007/02/23/sandor/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Feb 2007 18:04:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2007/02/23/%e3%80%8e%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%ab-%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e6%95%99%e6%9c%ac%e2%80%95%e8%ba%ab%e4%bd%93%e3%83%bb%e9%9f%b3%e3%83%bb%e8%a1%a8%e7%8f%be%e3%80%8f%e3%80%80/</guid>
		<description><![CDATA[シャンドールは1911年ブダペストに生まれ、その地ブダペストのリスト音楽院でピアノをパルトゥーク（Bela Bartok）に、作曲をコダーイ（Zoltan Kodaly）に学びました。 2005年に94歳でなくなりましたが、その晩年まで演奏を続け、演奏の詩情と豊かな情緒性は、年を重ねるごとに増す一方であったと言われています。 シャンドールの演奏技術理論で特徴的なのは、調和のとれた体の動かし方です。“諸動作のコーディネート”にストレスが置かれています。人間の解剖学的構造に適った、最小のエネルギーで最大の効果を得る動作を行い、最も自然に苦痛なく、音楽を享受し表現すること、これは可能であるし追求すべきことである。これこそシャンドールが間違ったピアノ奏法で無用の苦労をしている人々に伝えたかったことでした。 練習について、シャンドールはこのようにアドバイスします、「技術を中心に据えた勉強は出来るだけ省いたほうがいい（ハノン、ピシュナ、ツェルニーなど）。特定の技術パターンを繰り返すやらせる練習曲は、ややもすると我々を機械的な練習に導きがちである。そんなことをするよりも、ある技術パターンをその最も純粋な形で身に付け、それが正しく出来たら、それを直ちに実際の作品の中で用いるほうが、はるかに生産的である。ピアノのレパートリーは恐ろしく膨大であり、恐ろしく学ぶべきものがあるのであって、偉大な音楽を材料にして同じ技術上の進歩が達成できるのであれば、質の悪い音楽で時間を浪費するのはまったく馬鹿げていよう。ショパンやリストのエチュードは一級の大傑作であり、大いに真剣に勉強する価値がある。―中略―もちろん、技術練習を一切やらず、音楽作品だけを学べと言っているわけではない。」 何度も反復しなければならない退屈で苦痛でもある機械的な練習によって、ピアノが嫌いにならなかった子供がいるでしょうか。シャンドールはそのような苦痛や、費やされるエネルギーや時間は不要であると言います。 T.E. カーハートは『パリ左岸のピアノ工房』で、ピアノと音楽への情熱を描きました。この物語に引き込まれた読者は、音楽にピアノを通して触れる、わくわくするような幸福な時間を予感することができます。そのような予感は、間違った練習によってだいなしにされてはならず、またシャンドールのいうように、筋肉の緊張によってばかりでなく、もっと知的な作業と精神的な緊張によって、実現へと導かれうるのものではないでしょうか。 原書；On Piano Playing: Motion, Sound and Expression by Gyorgy Sandor<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=17&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_75" class="wp-caption alignleft" style="width: 152px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gyorgysandor.jpg"><img class="size-full wp-image-75" title="gyorgysandor" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gyorgysandor.jpg?w=142&#038;h=200" alt="book" width="142" height="200" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"><br />
シャンドールは<span lang="EN-US">1911年ブダペストに生まれ、その地ブダペストのリスト音楽院でピアノをパルトゥーク（Bela<br />
Bartok）に、作曲をコダーイ（Zoltan Kodaly）に学びました。</span><br />
2005年に94歳でなくなりましたが、その晩年まで演奏を続け、演奏の詩情と豊かな情緒性は、年を重ねるごとに増す一方であったと言われています。<br />
シャンドールの演奏技術理論で特徴的なのは、調和のとれた体の動かし方です。“諸動作のコーディネート”にストレスが置かれています。人間の解剖学的構造に適った、最小のエネルギーで最大の効果を得る動作を行い、最も自然に苦痛なく、音楽を享受し表現すること、これは可能であるし追求すべきことである。これこそシャンドールが間違ったピアノ奏法で無用の苦労をしている人々に伝えたかったことでした。</span></p>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;"><span style="font-family:&quot;">練習について、シャンドールはこのようにアドバイスします、「技術を中心に据えた勉強は出来るだけ省いたほうがいい（ハノン、ピシュナ、ツェルニーなど）。特定の技術パターンを繰り返すやらせる練習曲は、ややもすると我々を機械的な練習に導きがちである。そんなことをするよりも、ある技術パターンをその最も純粋な形で身に付け、それが正しく出来たら、それを直ちに実際の作品の中で用いるほうが、はるかに生産的である。ピアノのレパートリーは恐ろしく膨大であり、恐ろしく学ぶべきものがあるのであって、偉大な音楽を材料にして同じ技術上の進歩が達成できるのであれば、質の悪い音楽で時間を浪費するのはまったく馬鹿げていよう。ショパンやリストのエチュードは一級の大傑作であり、大いに真剣に勉強する価値がある。―中略―もちろん、技術練習を一切やらず、音楽作品だけを学べと言っているわけではない。」</span></p>
<p class="MsoNormal" style="text-indent:10.5pt;"><span style="font-family:&quot;"> 何度も反復しなければならない退屈で苦痛でもある機械的な練習によって、ピアノが嫌いにならなかった子供がいるでしょうか。シャンドールはそのような苦痛や、費やされるエネルギーや時間は不要であると言います。<br />
T.E. カーハートは『パリ左岸のピアノ工房』で、ピアノと音楽への情熱を描きました。この物語に引き込まれた読者は、音楽にピアノを通して触れる、わくわくするような幸福な時間を予感することができます。そのような予感は、間違った練習によってだいなしにされてはならず、またシャンドールのいうように、筋肉の緊張によってばかりでなく、もっと知的な作業と精神的な緊張によって、実現へと導かれうるのものではないでしょうか。</span></p>
<p><span style="font-size:.8em;">原書；On Piano Playing: Motion, Sound and Expression by Gyorgy Sandor</span></p>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/17/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/17/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/17/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/17/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=17&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2007/02/23/sandor/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/gyorgysandor.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">gyorgysandor</media:title>
		</media:content>
	</item>
		<item>
		<title>『キリスト教及び東洋哲学の美術』　アーナンダ.K.クマーラスワーミ/Christian and Oriental Philosophy of Art by Ananda K. Coomaraswamy</title>
		<link>http://koguma.wordpress.com/2006/11/19/coomaraswamy/</link>
		<comments>http://koguma.wordpress.com/2006/11/19/coomaraswamy/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 19 Nov 2006 18:20:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oursonmarron</dc:creator>
				<category><![CDATA[文化・芸術]]></category>
		<category><![CDATA[書籍・雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[クマーラスワーミ  伝統主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://koguma.wordpress.com/2006/11/19/%e3%80%8e%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99%e5%8f%8a%e3%81%b3%e6%9d%b1%e6%b4%8b%e5%93%b2%e5%ad%a6%e3%81%ae%e7%be%8e%e8%a1%93%e3%80%8f%e3%80%80%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%8a%e3%83%b3%e3%83%80k/</guid>
		<description><![CDATA[「美は、認識能力と関連する」（トマス・アクィナス） 伝統主義者にとって芸術とは、文学においても絵画おいても、決して「芸術のための芸術」とは見なされないものです。「芸術のための芸術」とは、全くのブルジュワ的幻想でしかありません。クマーラスワーミは、ここに手段と目的の混同があると指摘します。 芸術とは、それ自体が最終的な目的でも、目的の一部でもなく、人々の目を真実に導く手段でした。それは、「徳はそれ自体が報いである」という主張が、誤りであるのと同様です。（ダンテが表現したように、徳は最終目的にいたるための乗り物であり目的地ではありませんでした。） 中世美術と現代美術の間には大きな隔たりがあります。 中世美術においては、プラトンが「追従」と呼ぶ他人を喜ばすこと、あるいは自己を表現することは、目的にありませんでした。 多くの芸術作品は無名の芸術家によってなされました。というよりも、芸術家は無名であることが当然であり、個人的な成功は重要ではありませんでした。傑作（masterpiece、そもそもは字義通り、職人がmasterとしてひとり立ちできる能力があることを証明する為の作品）は、天才によってではなく無名の人々によって生み出されていました。パトロンも、仕立て屋の個人的性質とその発揮よりも、仕立てられた服の出来上がりを評価するように、芸術家の特殊な才能の発揮よりも、完成された作品を評価していました。表現形式や外観よりも、表現された内容こそが重要でした。芸術作品の内容は、人々の心を動かし観照へと導くものだったのです。 クマーラスワーミは広く受け入れられている芸術の見方を批判します。 現代の進歩や進化を信じる一般的な観点は、中世芸術を「解剖学について、なにも知らなかった」時代のものだと言います。このような後期ルネサンスとアカデミックな芸術のリアリズムからの批判は、中世の哲学者によってすでに不当であることが指摘されていました。それらは「身体よりも美しいものを考えることができない」人々の意見なのです。 また別の批判されるべき観点は、いわゆる玄人の美学的観点です。彼らは“プリミティブ”な芸術にも美を見出します。しかし彼らの関心の中心は、外観へのわれわれの情緒反応と、美観 “aesthetic surfaces”や部分間の関連にあります。このような意見の背後には、芸術が「感情の表現」であるという考えがあることを見抜かなければなりません。また、aesthetic 審美的という語が使用され始めたのは、わずかこの２百年あまりのことであるのを思い出す必要があります。Aesthetic　とはまさしく「(知力でなく)感覚による認識理論と、感情的反応」を意味しています。このような見方から、「知識こそが、作品を美しいものとする」（聖ボナヴェントゥラ）と考えた人々の芸術を正しく評価することが可能なのでしょうか。 中世美術の本質へ近づくには、どのようなアプローチが正しいのでしょうか。 それは、中世の精神、キリスト教の精神それ自身、そして最終的には、永遠の哲学“Philosophia Perennis”すなわち、普遍的で一致した伝統 “Universal and Unanimous Tradition”を理解することです、とクマーラスワーミは言います。「いくらかでもあっても、それらは伝統芸術―中世、東洋、あるいは民族のものであろうとーの理解と享受への扉を開くでしょう」 本当に中世美術を理解する為には、エミール・マールが“calculus”計算法と呼ぶキリスト教の象徴的表現ーそれはキリスト教のみ、またヨーロッパにのみ属するものではないー、芸術という普遍言語を学ぶことが必要なのです。 Christian and Oriental Philosophy of Art (Paperback) by Ananda K. Coomaraswamy<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=16&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="MsoNormal">
<div id="attachment_77" class="wp-caption alignleft" style="width: 150px"><a href="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/coomaraswamy-book.jpg"><img class="size-full wp-image-77" title="coomaraswamy-book" src="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/coomaraswamy-book.jpg?w=140&#038;h=217" alt="book" width="140" height="217" /></a><p class="wp-caption-text">book</p></div>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;">「美は、認識能力と関連する」（トマス・アクィナス）</span></p>
<p class="MsoNormal"><span lang="EN-US"> </span><span style="font-family:&quot;"> 伝統主義者にとって芸術とは、文学においても絵画おいても、決して「芸術のための芸術」とは見なされないものです。「芸術のための芸術」とは、全くのブルジュワ的幻想でしかありません。クマーラスワーミは、ここに手段と目的の混同があると指摘します。<br />
芸術とは、それ自体が最終的な目的でも、目的の一部でもなく、人々の目を真実に導く手段でした。それは、</span><span style="font-family:&quot;">「徳はそれ自体が報いである」という主張が、誤りであるのと同様です。</span><span style="font-family:&quot;">（ダンテが表現したように、徳は最終目的にいたるための乗り物であり目的地ではありませんでした。）</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 中世美術と現代美術の間には大きな隔たりがあります。<br />
</span><span style="font-family:&quot;">中世美術においては、</span><span style="font-family:&quot;">プラトンが「追従」と呼ぶ他人を喜ばすこと、あるいは自己を表現することは、目的にありませんでした。</span><br />
多くの芸術作品は無名の芸術家によってなされました。というよりも、芸術家は無名であることが当然であり、個人的な成功は重要ではありませんでした。傑作（masterpiece、そもそもは字義通り、職人がmasterとしてひとり立ちできる能力があることを証明する為の作品）は、天才によってではなく無名の人々によって生み出されていました。パトロンも、仕立て屋の個人的性質とその発揮よりも、仕立てられた服の出来上がりを評価するように、芸術家の特殊な才能の発揮よりも、完成された作品を評価していました。表現形式や外観よりも、表現された内容こそが重要でした。芸術作品の内容は、人々の心を動かし観照へと導くものだったのです。</p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> クマーラスワーミは広く受け入れられている芸術の見方を批判します。<br />
現代の進歩や進化を信じる一般的な観点は、中世芸術を「解剖学について、なにも知らなかった」時代のものだと言います。</span><span style="font-family:&quot;">このような後期ルネサンスとアカデミックな芸術のリアリズムからの批判は、中世の哲学者によってすでに不当であることが指摘されていました。それらは「身体よりも美しいものを考えることができない」人々の意見なのです。</span><br />
<span style="font-family:&quot;"> また別の批判されるべき観点は、いわゆる玄人の</span><span style="font-family:&quot;">美学的観点です。彼らは“プリミティブ”な芸術にも美を見出します。しかし彼らの関心の中心は、</span><span style="font-family:&quot;">外観へのわれわれの情緒反応と、</span><span style="font-family:&quot;">美観 </span><span lang="EN-US">“aesthetic surfaces”</span><span style="font-family:&quot;">や部分間の関連にあります。このような意見の背後には、芸術が「感情の表現」であるという考えがあることを見抜かなければなりません。また、</span><span lang="EN-US">aesthetic </span><span style="font-family:&quot;">審美的</span><span style="font-family:&quot;">という語が使用され始めたのは、わずかこの２百年あまりのことであるのを思い出す必要があります。</span><span lang="EN-US">Aesthetic　とはまさしく「(知力でなく)感覚による認識理論と、感情的反応」を意味しています。このような見方から、</span><span style="font-family:&quot;">「知識こそが、作品を美しいものとする」（聖ボナヴェントゥラ）</span><span style="font-family:&quot;">と考えた人々の芸術を正しく評価することが可能なのでしょうか。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span style="font-family:&quot;"> 中世美術の本質へ近づくには、どのようなアプローチが正しいのでしょうか。<br />
それは、中世の精神、キリスト教の精神それ自身、そして最終的には、永遠の哲学“</span><span lang="EN-US">Philosophia Perennis</span><span style="font-family:&quot;">”すなわち、普遍的で一致した伝統</span> <span style="font-family:&quot;">“</span><span lang="EN-US">Universal and Unanimous Tradition</span><span style="font-family:&quot;">”を理解することです、とクマーラスワーミは言います。</span><span style="font-family:&quot;">「いくらかでもあっても、それらは伝統芸術―中世、東洋、あるいは民族のものであろうとーの理解と享受への扉を開くでしょう」</span><br />
<span style="font-family:&quot;"> </span><span style="font-family:&quot;">本当に</span><span style="font-family:&quot;">中世美術を理解する為には、</span><span style="font-family:&quot;">エミール・マールが“calculus”計算法と呼ぶキリスト教の象徴的表現ーそれはキリスト教のみ、またヨーロッパにのみ属するものではないー、芸術という普遍言語を学ぶこと</span><span style="font-family:&quot;">が必要なのです</span><span style="font-family:&quot;">。</span></p>
<div class="buying"><span style="font-size:.8em;"><a onclick="return mugicPopWin(this,event);" oncontextmenu="mugicRightClick(this);" href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/0486203786/sr=8-1/qid=1163923851/ref=sr_1_1/250-2622463-1235428?ie=UTF8&amp;s=english-books"><strong>Christian and Oriental Philosophy of Art (Paperback)</strong></a></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/0486203786/sr=8-1/qid=1163923851/ref=sr_1_1/250-2622463-1235428?ie=UTF8&amp;s=english-books"><strong></strong><br />
by</a></p>
<p><a onclick="return mugicPopWin(this,event);" oncontextmenu="mugicRightClick(this);" href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/0486203786/sr=8-1/qid=1163923851/ref=sr_1_1/250-2622463-1235428?ie=UTF8&amp;s=english-books">Ananda K. Coomaraswamy</a></p>
<p></span></div>
<br /><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/categories/koguma.wordpress.com/16/" /> <img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/tags/koguma.wordpress.com/16/" /> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/koguma.wordpress.com/16/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/koguma.wordpress.com/16/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=koguma.wordpress.com&amp;blog=4871306&amp;post=16&amp;subd=koguma&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://koguma.wordpress.com/2006/11/19/coomaraswamy/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	
		<media:content url="http://1.gravatar.com/avatar/d775a7448af1ad4f747cc2bef1ce291d?s=96&#38;d=identicon&#38;r=G" medium="image">
			<media:title type="html">oursonmarron</media:title>
		</media:content>

		<media:content url="http://koguma.files.wordpress.com/2008/09/coomaraswamy-book.jpg" medium="image">
			<media:title type="html">coomaraswamy-book</media:title>
		</media:content>
	</item>
	</channel>
</rss>
